ご意見お寄せ下さい 末永弘之自宅 メール
☆その1→
はじめにの言葉
全解連津山市協議会の委員長として、同和・部落問題に取り組んで30年、共産党の議員として私の半生記の記録です。
4/28に導入、10月末に「書き直し、加筆」しました
☆その2→ あんたは同和か あんたは同和地区の人か?、こんな質問に対して「差別する気か」と詰問した時代から、様々な経験を積み上げていきました。10月末に「画面の修正」をしました。
☆その3→ 逆差別だ 同和事業は行き過ぎでいるのではないか、逆差別ではないか、こんな意見に対して、私たちがどのように対応してきたのか。10月末に「加筆」で11/4に最後の「構成」しました。
☆その4→ 今は何とも思わない 私らは、何とも思わない、今はどうもない、差別はなくなっているのではないか、こんな意見にも沢山出会いました。そんな時にどう対応したか、いわば、国民融合の試金石でした、10月末に整理しなおしです。
☆その5→
子どもにどう教える
子どもに「部落民であることを教えなくてはいけない、寝た子を起こすなの考えは間違っている、から出発した、「お前は同和で・・・」物語
4/27最後の部分整理、11月始め構成しなおしです。
☆その6→ 色んな取り組み いかめしい名刺配りのお話から、集会所の講師謝礼金物語、本がないとは何か、津山らしさを作り上げた幾つかの特徴ある取り組みは・・ここ。10月末に部分修正です
☆その7→
総合計画における同和施策のあり方は?
4月27日から工事始めました。10年ごとに行われる、地方自治体としての「都市計画づくり」の同和施策のコーナーの変化は何か、この時「地区児童・生徒」はどうしたか?
☆その8→大林先生の思い出と末永軍団のお付き合い→
2005年4月削除
東京帝国大学卒・作陽音楽大学名誉教授・美作部落研会長、党後援会会長、平和委員会会長などを歴任、たいへんお世話になりました。9月から10月末に仕上げです。
☆その9→ 5月26日徳島県鳴門市での講演会模様 部落解放運動を綴じて、まち・人つやまネットへ、新しい市民運動団体になって始めての講演会の旅、田淵議員の招きで渦潮の町へ出かけました。
★その10→県連オルグと津山市協議会の争いは?→
2005年4月削除
試された私の態度、相互批判と同志愛とは何か、?、が「偽共」を取り除きました。10月25日に書き上げました。
☆その11→ さくらヘルパー学園が美作女子大学で花開く さくら会館のHP−リンク、「ここまで来た私たちの同和・部落」ではない運動の到達点です、2002年9月2日に私が作った画面です、2003年3月まで随時更新です。
★その12→特別企画 /全国へ夢発信/長野県で夢が実現 ・その時歴史が動きました。 長野県の思い出、 佐久市で同和の講演会資料 を紹介しながら、私の公演内容を解説してみました。長野の歴史が動いたの一齣画面です、10月はじめに仕上げです。
★ その13になりますか →あっちの者、こったの者は2002年11月11日作成 総合計画から「地区児童」の言葉をけしました、そして、私たちの運動では、笑いながら新しい運動の提起でした。
★その14→津山市の水害と「さくら会館」の床下浸水物語→
2005年4月削除
こんな「経験」も非情でした、情けない物語、こんなのありか?今でも残念無念、取り返しは出来ません11月3日から書き始めましたが・・・写真は津山市から拝借です。公開すると問題がおこりそうな内容ですね11月4日〜5日にかけて
★ その15 →市議会と同和・部落問題 ・ 何でも賛成する議員と部落問題の解決 を2003年1月臨時市議会から
★その16→
確認会は拷問だ!
誰もが、もう聞くことはない、・・・でも歴史の一齣です、こんな経験はもう出来ません・・・。すごい経験でした。2002年11月16日から書き始めました。。
★その17→あの人にも「同和施策」が必要ですか、本当に必要ですか物語 ★ちょっとした違いの克服運動も?
★住宅家賃値上げ反対運動と若者の苦悩、全国集会と地域
★その15→抵当権騒動と住民の力、パワーの勝利
あわや全解連津山市協議会が分裂、全解連津山正常化連絡会議結成の準備に・・・
ようこそ 番目のお客様<2002年1月14日ホームページ開設>