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1998年10月17日深夜から18日未明へ大雨
−昭和町/「さくら会館」も床上浸水の大被害、その時何がおこったか−

★すごい雨でした、18日目深夜、大雨のニュースは流れていましたが、覚め早く「しんぶん配達」から帰った頃から、津山市内の「大水被害」のニュースが入り始め、家を飛び出しましたが、八方塞、日上・国分寺・瓜生原地域は「孤立」していました。
地元の水害見舞いなど走っていましたら「昭和町が全滅」のニュースが飛び込み、唯一つ「通行可能」になった橋を渡って、「さくら会館」へ向かいましたが、途中前代未聞の「大水」でびっくりでした。


★写真は、行政資料としてのものですが、さくら会館の中が丁度同じぐらいの水でした。末永が鍵を開けますとドット水が流れ出ました。
☆書記局全員に連絡、自宅などが「水害」でない場合を除いて全員が集合、取り急ぎ「ドロ水」を事務所から出すことから仕事を始めましたが、隣近所、知り合いの「被害状況」が次々と入りますが、どうにもなりません、私は地元の地域の被害状況などを調査、一定行政との連絡などに終われましたが、何一つ手がつかない、呆然と見るだけ・・・で時間が流れ去りました。

水が引いた後の「駅前バスステーション」のへドロの様子の写真ですが、午後になって、やっと水も引き、事務所の被害も段々とわかり、岡山県全体の被害や津山市の状況なども正確に伝わるようになって来ました。
さくら会館→床上浸水、電話不能、産地直送のお米(精米すみ分)が全滅、宣伝カーが水の中にどっぷりとつかり不能、床上にヘドロが2〜3センチ積り、そのために、すべての机と書庫、戸棚など一番したのものが全滅となりました

丸々二日、事務所の中のものを全部外に出して、事務所の中のヘドロを洗い出しました、幸いなことに、新しく社団法人「さくら会館」として新築をした際に、古い建物(美作解放会館)よりは10センチ高くかさ上げをして建築をし、土間はすべてコンクリーを打ち込んでいましたから、全てのものを出して、外で乾かしながら、水を流すとい作業でことが終わりましたが、2日間は整理に手を取られました。津山市街地はすべて同じことでした、皆一日目と二日目は自分に関係する場所の整理で手一杯でした。

☆それでも水害に関係がなかった地域の人たちが「ボランティア」チームをくんで、高齢者や一人住まい、大被害の世帯などへ「ヘドロだし」とヘドロに埋まった家具の掃除の手伝いも早くから始まりました。


☆写真は中林よし子衆議院議員が「お見舞い」に来津した時の模様ですが、4日か5日後、比較的早く来てくれました。
☆津山市協議会の会員の中にも党後援会員のなかにも、かなりの被害にあわれた人たちがいることが段々と判明してきました。

さくら会館の後始末をしながら、津山市協議会や党後援会として「救援隊」(ボランティア)をつくり、会員の中で「一人住まい、高齢者、被害の大きい人」を中心として救援活動が始まります。→今日が2002年11月3日←4年前の選挙準備は、まさに、この水害のボランティア活動と並行して進んでいった記憶がありますが、12月初めまで、水害の後始末、津山市中、町中に「ヘドロに汚れた家具の山」がありました、丁度神戸の震災(その前の選挙直前、8年前ですか)の後と全く同じ風景でした。

ここで、まこと恐ろしい、びっくりの、信じられないことを体験しました?

市役所を歩いていましたら、「末永さん先日は全解連の人たちが見舞いに来てくれまして、お見舞いまで頂きました、ありがとうございました、さくら会館も大変ですね・・・・・」?。


岡山県連合会に津山から勤務していますHさんは、すぐに「さくら会館」に見舞いに来てくれて、一日事務所の整理を手伝ってくれましたが・・・・・、県連が行政にお見舞いを・・・・?・・・・。
びっくりするやら、意味不明やら、複雑な気持ちで電話をしてみました・・・・「副委員長のM氏の提案もあり、被害の大きい津山市、吉井町などに見舞いに訪問した・・・」の返事でした。M副委員長は、2年前まで津山市協議会の書記長さん、津山市の会員で津山市出身の県連副委員長・・・現在もです・・・・・、アレッ、頭が「ズキン」とうずきました、「なんで・・・・」
☆津山市行政マンは、「立派です、さすがです・・・」と褒めちぎりますが・・・・・?、このときは、「さくら会館」を建て替えた直後でしたが、全解連岡山・美作ブロックと津山市協議会の事務所でした、それだけだったんですよ、介護センターもなかった、
全解連の下部組織の事務所が水害で困っていた、この「さくら会館」の前の国道を通らないと岡山から津山市役所にはいけないはずですよ・・・、これって、一帯何なら、津山市協議会は何なら・・・
☆津山市協議会は・・・・末永は・・・・いったい何者なのか、Mや県連にとって何なら、こんな市民運動があるものか・・・・、一回も「さくら会館」には見舞いもこないが、顔も見せないで置きながら、行政には見舞金をもって早々と見舞いに出かける運動は、いったいなんでしょうか。

皆、日本共産党員といわれる人たちですが・・・・、いったい、何なら、「偽共の典型」!、フト、久しぶりに、この言葉を思い出しました、水杉、大成、藤沢の先輩の言葉が思い浮かびました・・・・・、奇麗事だけをいうが芯がない、芯が、市役所にほめられるだけが「やっこさんの脳だよ・・・」
-書記局一同、間違いなく、県連とは縁をきる、こんな気持ちになったものですよ-

もう一つの出来事も、忘れられませんよ、くやしくて!

たしか、中央が召集する全国部落問題研究集会が開催される直前のことと記憶していますが、研究集会で活動報告方々「水害問題」を取り上げて、カンパなども訴えるか、と気軽に、考えたものです、それでも、カンパとなりますと主催者の許可も必要と、県から中央へと「事前の申し入れ」を行いました。
★津山が直接カンパを訴えるのは組織上問題があろう
★津山だけが水害の被害者ではなかろう、他の地域も大変だ
★県連がまとめてカンパを受け取らないとおかしい・・・・・
★さくら会館の被害は、たいしたことはない、会員のほうが大変だ・・・・
☆その他、色々と言われたと思いますが、主には、こんな意見が返って来ました、結果としては津山市協議会の独自のカンパの扱いは組織上「問題がある」ということで県連が扱うことなり、しかも、吉井町や津山市、山陽町などの行政への見舞金や岡山県下(津山市内も含めて)の会員の被害者への見舞いなどとあわせて行い、津山市協議会は「被害も少ない」ので見舞金として扱うこととなりました。
☆宣伝カー一台で、拡声器など音響設備とあわせて、これだけで約250万円はかかったと思いますが・・・・、津山市協議会が、全国に「夢発信」している地域に直接訴えをさせてほしいという願いは・・・無残にも県連の「偽共」→?久しぶりに思いついただけ、やっぱり「偽共」というのには?が必要ですね、そんなことだと現在は思いますよ、だって、4年前の出来事ですから・・・←によって、見事に打ち砕かれました・・・・。

☆神戸の震災の時は、津山からも神戸市協議会の事務所の整理や当番に出かけ、その後にもお米やお肉つんでトラック一台とマイクロバスで、選挙直前でしたが、炊き出しボランティアにも出かけましたが。。。。。。
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