このコーナーは、「同和地区住民とは、地区児童・生徒とは何か」が大きく問われ、私が何を考えてきたのかを紹介するコーナーです。
-平成8年、1996年の出来ごとでした-
4月27日から開始した画面づくりです。ここでは、地方自治法に定められている、津山市総合計画づくり(10年を一つの目標とした都市づくり計画)と「同和施策」のコーナーでの課題、今の「生き生きプラン、津山から夢発信」の計画書づくりから、「地区・地区児童生徒」の言葉が消えた物語を記載しました。
8月17日に、ほぼ仕上げることができました。一部資料が未整理です。
−津山市第3次総合計画−
夢発信・心かよわせ城下町 津山いきいきプラン21
平成8年度(1996)〜平成17年度(2005)で平成8年4月1日に発表されました。
平成7年度までをめやすにした第2次総合計画が終了するのと同時に、新しく中尾嘉伸氏が市長に当選し、第3次総合計画に着手し約1ヵ年の検討会議をかさねて作成されたものです。
→基本的には、日本共産党議員団では「人口規模について当局案10万人を議会が10万5千人に修正する」などの暴挙があり、大型事業中心・箱物つくり、民間依存の福祉施策である、などの理由で反対でした。
そして、施策の具体的な内容は10万人の規模に見合った計画であるが、人口増加予定数字だけが10万5千人になっているます。計画づくりの最後の段階で「議会が人口規模は多いのが良い」というので5千人を増やすことを多数決で議決したために、内容が5千人プラス計画にならず、10万人計画での施策がそのまま印刷されたものです。
作成にあたって、2つの基本的な申し入れ
★日本共産党津山市議団として、市民の意見を尊重し、上からの計画作りではなく庶民の側からの計画作りをおこなうこと、人口規模などは実現可能な範囲を科学的具体的に検討するなどを作成に当たって申し入れを行う。
★全解連津山市協議会として、同和施策については、法を終結させる、終結する方向を基本として作成することなどを申し入れる。
末永弘之の総合計画づくり検討委員会での提案
@人口ののびを無茶に(過大に)みないでほしい
A県や国の施策に引っ張られるのでなく、津山らしさを出すものにしてほしい
B福祉、医療などについて、民間依存、ボランティアばやりだが、公が責任持つ計画作りにしてほしい
C市街地再開発事業は→結果論としては、これがアルネを作り出す元になった←反対の地権者がいるのに「推進する」姿勢はおかしい、街づくりのあり方としてもこんどの計画はおかしい内容がある
D同和施策について、法が切れることを前提として、一般法の中で物事を処理することを考えて欲しい、団体補助金も一般的な市民団体と同様にしてほしい
E森忠政だけが評価される400年歳はダメ、単なるイベントだけならやめるべきだ。例えば「お城を築いた時の負の部分もキチント、ハッキリとさせるべきだ、「歴史博物館」のようなものをつくり、例えば、無理に美濃の国からつれてこられた大工さん石工さん・人夫さんなども多くあり、歴史の検索、庶民の側の歴史発掘などが大切だ
F城東の街づくりなどは「苅田酒造の中を見せてもらう」とか、ワイン工場と試飲、ガラス工房のようなもの、そんなものを推進すべきだと思う。
平成7年10月9日(月)の総合計画議員懇談会での論議の模様→2002年5月3日に議事録など参考にして整理して記述。
◇絶対に後に寄れない当局提案の「同和対策」→「現状と課題」の項目の修正へ入る
★当局提案の原案に書かれていた文章→「地域住民が経済的かつ社会的に自立し、社会のあらゆる分野に進出して、重要な役割を果たしていくことが期待されます」と書かれていました。
★末永の意見→「社会のあらゆる分野に進出して、重要な役割を果たしていくことが期待されますとの指摘は結果として、同和地区の人が、色んな団体で役員になれば、それで問題が解決する、とのイメージを作り出すことになる」と厳しく指摘をし、計画からの前面削除を
強く要望しました。
そして、全解連津山市協議会の「国民運動学習会」の主要テーマとして位置づけて、22の地域での学習会で大きな論議をしたものです。
★地区内外の人々が交流を深める、とか、社会的に色んな市民団体の活動や共同の輪をつくり、その中で積極的に活動したり交流したりは当然であり、その結果として人格があり、人に信頼される人間になっていくのは結果論としての姿であり、「社会のあらゆる分野に進出して、重要な役割を果たしていくことが期待されますとの問題提起は、完全に《いびつな地域像、人間像を描き出す》ことになり、あきらかに無茶な方針である」との旨を申し入れなどしたと思います。
こんな事例が世の問題、市民のささやきでした −本音シンポジウム−で指摘を受けたました。
1、地区の人が○○団体の3役になりたくて、△△の責任者になりたくて、それまでの役員を「無理に降ろした」とか「責任者になれないのは部落だからからか」と案に脅されるようになり、「しかたなく役員をやめた、譲った」との話が出されていました。→ここでは、必ずといっていいほど、特に「部落だから、という理由で責任者になれないのではない」といわれると、後は何もいえないというのが本音でした。
★私たちは、何とも思っていないのに・・・・が前後に説明されての話でした。この話は、
別の課題として特集されています
から、ここから訪れて見てください。
2、地区の人に会長をお願いしたが、本当に、真面目で、一生懸命やってくれて助かる。
3、地区の人が会長になったが、自分の気に入らない意見は絶対に聞き入れてくれない、しまいには「自分が部落だから反対するのか」と言い出す、全く部落などは関係ないことであるが、それを言われると、私らは、言葉が出ない・・・・、しかし、無茶な人だと思う・・・。本当に無茶をする人だが、部落を言い出すので、何もいえない、困ったものです。
4、私は長い間「献身的」に○○団体のためにやってきた、副会長まではなったが、どうしても会長にしてくれない、部落だから嫌ってなれない、これは部落差別である、差別はある。嫌っている。
5、あの人がなったら「困る」と思っていたが、役員改選にあたり、任期切れの場合、当然のこととして現職役員は、「どなたか適当な人に譲りたい」といわれる、そして、「となたかなり手はありませんか」と儀式的にでもいわれるが、その瞬間に「自分がなる」といわれて本当に、どうにもならななった、私はそれで、その会をやめた、あんな人が責任者になるのであれば嫌だ、と思ったからだ。ただし、部落を嫌ったわけではない、人間性がなってなて、力ずくで、お金で、何でも思うようになると思っているのが嫌、そして、思うようにならないと、すぐ部落をだす、いざという時の切り札になっている・・・。
2002年5月1日現在の資料から当時を振り返ると
★総合計画を作成したり、進捗状況を調査したり、残事業を調査し、若干の手直しをしたりは、総務部企画課の仕事ですが、このHP作成に当たり、当時の記録・資料・申し入れ書などの存在や経過を整理する資料を探してもらいました。資料はあまり見つかりませんでしたが、下記のような資料は見つかりました。
→
この部分、8月17日現在工事中のままです
★地区住民とは何か?地区児童生徒とは誰か?
全国のどの自治体も「同和施策」のコーナーをつくり、差別のない社会へ向けての理念と具体的な施策のありようが指摘をされています。
★地区住民の生活擁護のために・・・・・、★地区住民の生活支援策・・・・・
★地区児童・生徒の進路を保障するために・・・・★地区児童の進学率は・・・・・
などの言葉が随所にみられます、津山市の総合計画にも、同じように記載があり、新しくつくる計画の原案にも、当然のこととして、それが書かれていました。
末永の提案は→そもそも地区住民とは誰のことか、誰が何を根拠にするのか、非公開、隠された「同和地区の線引き地図」が元になるとすれば、おかしなもので、施策の恩恵をうけて得をする場合は「地区の人」だと認定をして、普通の場合や損?する場合は「地区を差別するのか」といい、全く不可思議である。しかも、もう、特別措置法も見直し、廃止が問題になっている時代、10年後を見通す計画であるいつまでも「地区の人とか地区児童・生徒などとの呼称は使用すべきではない」でした。
半年近い論議の中で、
@「地域住民が経済的かつ社会的に自立し、社会のあらゆる分野に進出して、重要な役割を果たしていくことが期待されます」
A地区住民とか地区児童・生徒とかの言葉
2つとも総合計画の文面から削除されました
そして、市民の福祉を守る施策とか、(すべての)児童・生徒の進路を保障する施策のあり方、へと大きな流れを生み出し、この直後から、「地区と地区外を対比する調査や統計数字を集約する」というやり方が止められて行きます。地区の子どもたちの進学率なども公表が行われなくなっていきます・・・・、大きな時代の変化を作り出した「総合計画策定に関する取り組み」物語です。