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ホ場整備事業、痛恨の20年の区切り

2003年私の9期目の市議選準備の中で、一つの活動を通じて、半生記の記録からはずしてはならない課題に区切りがつきました。選挙が終わるまで、雑記を移動しただけの画面になりますが、選挙後、何が起こったのか、日上・国分寺地区ホ場整備事業とは何で会ったのかを紹介する予定画面です。
2003年3月9日の朝記入する

3月8日土曜日の朝です


★ホ場整備事業、痛恨の20年の区切りでした。

3日ほどかけて気になっていた一つの作業・行動をやっと終えた。日上・国分寺ホ場整備事業が20年近い歳月をかけて昨年、やっと「換地処分」を終えて、全地権者に「権利を返還」し、いわゆる工事が完了したところです。本来は土木工事が終わって1〜2年で終わるべきところを、長い間「私の町内のもろごと」で心痛を煩わし、迷惑をかけ、「何時の日に換地が出来るのか」と叱られ、叱られきた10数年の歩でした。60ha近い広い農地を毎日見るたびに心を痛めていた問題が解決し、本来は「お祝いの宴」でもすべきところですが、いまだに我町内が「分裂状態で、野獣の論理をもつ集団(個人に引っ張られている側面もある)」が一つの対象であり、何もしないできている、その地権者の皆さんへの「お詫びの挨拶」を選挙準備とかねて、各地域の「元役員の方々」と地元党支部の人たちの援助で昨夜終えることが出来た。私の人生の「汚点」ともいうべき仕事であったが、苦労をかけ、迷惑をかけた地権者のひとたちへの「お詫びの挨拶」は、私の人生での大きな区切りであると考えている。それだけに関係者から「労いの言葉とお礼」をいわれ、ありがとうございました、といわれたときには、感無量、選挙は気持ちの上で「別としても」と思っても、本当に出来上がってよかった、としみじみ感じた数日でした。ありがとうございました。

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