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末永弘之の半生記の記録



日本共産党常任委員から部落解放運動団体常任委員へ

★1965(昭和40)年、20歳代にはいっており、大学進学希望をあきらめて津山のある中小企業で働き、あまりにも過酷な労働条件に「労働組合づくり」を考え、青年学生代表者会議(青学代)や民主青年同盟などを職場に組織、それが理由で「不当解雇」され、解雇撤回闘争で「当時の美作地区労」(社会党の指導傘下)が「あんたは共産党か」と嘆いて、労働組合とは名だけで、労働争議であっても「社会党を支持しない限り何もしてくれない」のが労働組合であることを悟り、日本共産党に入党しました。

当時の部落解放運動がとても嫌でした

★その前後から、「解放同盟(当時は統一していた組織であった)の青年部に加入、「野次将軍、行動隊長」の役割を担っていたが、差別されたと「確認・糾弾会」をおこない、お金をもらい、社会党などに利用され、共産党までもが、解放同盟の活動を支援するという姿が本当に「嫌い」で「嫌い」であった。
★そして、不当解雇撤廃闘争で、日本共産党と民主青年同盟の「専従的」仕事をしながら、部落解放同盟の分裂の嵐の中に入っていきます。

部落解放運動団体の専従へ/津山市協議会の会計役へ


やがて、70年代初頭の「一斉地方選挙」において、日本共産党から市議選に出馬、27歳でした。5年間党の常任委員と市議会議員の任務に就き、4年後、私の2回目の選挙戦の真っ只中で開催された「部落解放同盟の大会」で、津山市協議会の3役入り、選挙が終わって、落ち着いて党の事務所に行きますと、「明日から隣保館にある津山市協議会の事務所の方へ行くように・・・」といわれびっくり、「嫌で、嫌でかなわなかった部落解放の事務所へ・・・・」ここから、私の半生記が生まれました。

滋賀県野洲町の講演会会場前にて 当時、共産党員も部落解放運動の事務所にはおりましたが、社会党有会の人たちが多くおりました。そして「偽共」という言葉を聴かされ、無党派の良心的な人たちが「当時の党員の部落解放運動のやり方」を批判的に眺めているのをイヤというほど知らされました。
★事実、全解連の専従をしていた「党員」が、専従をやめた翌日に「赤旗をやめるから」と連絡をしてきて、それを電話で受けたショックは忘れられません。
幾つかの「私の半生記の記録」を読んで頂ければわかる部分もあるとおもいますが、「偽共」といわさしめた現象があったと率直に感じてきましたし、そこから、大衆運動とは何か、大衆が党をどうみているのかを知らされることにもなり、大衆と党の関係を正常にする大きな試金石でもありました。
★それから30年、無党派の人たちが「末永は違う」と評価してくれ、社会党有会のメンバーが圧倒的に多かった中、約9.5割の人たちが、分裂後にも「全解連組織」へ移行した歴史、やがて幾つかの同和地区内に党の支部がうまれ、組織全体が「共産党か」と正しくはありませんが言われる組織になり、党の後援会がつくられ、社会全体の流れの中、旧社会党有会が解散していった歴史でもあります。党員として、党の議員として、何が求められるか、自分が苦しんだ、大衆が党を信じてくれるようになった決定的な物語、が、 津山市協議会と岡山県連合会の間でおこりました、この事件は 、いつか書きしたためます(平成14年10月末書き上げました)。
また、津山市協議会の中でも、全解連に「正常化連絡会を組織するか」とまで決意させる物語も苦難の足跡としてあります、組織的整理も含めて、これらも書き降ろす必要があると思います。
いつまでも「同和・部落」ではないと訴え続けた記録のページです、ごらん戴き感想などお寄せ下さい。すこし欲張りのページ多数、よろしく。
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ひな壇から降りて懇談会へ移行しました。

あなたならどうする!


全解連津山市協議会(委員長/末永弘之)が22年前から行っています、-本音で語る-部落問題シンポジウムで学んだことです。私たちは、シンポジウムで「差別するな」から「差別されない人間作り、地域づくり」をめざしてきました。そして、こんな意見に出会い、悩み、苦しみ、考え、到達したのは・・。

「部落タブーをなくしたい」の願いで出発したのが本音で語るシンポジウムでした、そして、地区内の生活習慣や教育・文化の「チョッとした違いの克服運動」を手がけ、1990年代に入って、全国へ、部落問題の新たな潮流として゛夢発信゛させてきました。

☆部落タブーをなくしたい、との願いで 1981年7月13日 ―本音で語る―同和問題シンポジウム


を開催し、それまでの「一方的な話、講演、差別の現状分析」をやめて、挨拶だけとし、誤解や偏見も・・・、差別と思われる意見も・・・・、ともかく市民の意見を黙って聞きました、言い訳もしかけましたが、しませんでした、誤解だと立ち上がって言いかけましたが、それは・・・と解説をするために腰を上げかけましたが袖を引っ張り合い何とか思いとどまりました、やめました。


★確認糾弾は精神的拷問である、との意見もだされました・・・、唇をかみしみてうつむいて・・・、黙って聞きました、10時から昼食で終わるかもしれない、本音は言わないかもしれないので昼で打ち上げと考えていましたが、午後3時過ぎまで・・・・、閉会の挨拶だけはしました、そのとき、やや高齢の人が、私の手を固く握って・・・・涙して「おまえさんは、どえらいことをした・・・」と感激をしてくれました。その手の温もりが忘れられなくて、22年続けてきました。
★政府の諮問機関、地対協のいわゆる「磯村指針」で「部落問題といえども自由に語り合える土壌が必要」といわさしめた3年前の出来事でした。

22間歩んだ私たちの歴史の流れは
1982(昭57)年同和対策事業特別措置法が5年延長されることを決定する直前から

「延長される法の期限で特別措置は終わるべき」と主張し続けました。そして、津山市の「同和事業終了計画」をすべての地域で持ちました。
☆同和の特別の助成金や特別対策事業はこれ以上続けるべきではないの決意を固めていきます。、
この決意を固めて、運動全体が実践に入ったのが1980年代後半に入ってからそして1992年(平成4年)から「教育集会所」などの特別助成を自主的に「廃止」の流れを作り出しました。

☆1996(平成8)年11月 同和の終結をめざす市民集会


☆子どもたちや孫たちに「同和」という名のつく地域がある社会ではなく、普通の社会を残してやりたい。


この集会には1500人の市民が参加し、このスローガンを作り出しました。そして、解放同盟が一定の影響力を持つ中、行政ぐるみではありませんが、市民の側から、同和地区の側から、同和の終結を実践し、行政や教育をも動かし、ほぼ同和をなくしてきました。

☆いつもでも同和・部落ではない、限りなく同和をゼロに


このスローガンは1998年(平成10年)7月でした。


そして、同和団体からの脱皮、特別助成金(補助金)からの脱皮をめざして産地直送運動・助け合い共済会に加えて、欠陥だらけの制度ですが、介護保険制度の導入にあわせて、 介護センター開設 などの新しい運動を展開しています。(私の夢発信講演の原稿です)
同和問題の学習会/講演会に時々招かれますが、2月22日は鳥取県の日本共産党地方議員団会議に招かれ「終結のあり方と津山の取り組み」を報告します。
2月23日は和歌山県日置川町で「同和の集結、明るいまちづくり」講演会、久しぶりの和歌山で、しかも、和歌山県内なしく「公の主催(中央公民館)」の講演会に招かれ講師を務めます。
鳥取は「レジメと資料」を送りましたが、日置川は、今日、2002年2月15日に送る予定です。
津山からのレポート、21世紀、同和をゼロへ゛夢発信゛ の講演です。
 末永弘之 連絡先 ★ご意見など下記のいずれかへお寄せ下さい
自宅
〒708-845 岡山県津山市日上144 
メール  hirosue@giga.ocn.ne.jp
TEL 0868-26-0263 FAX 0868-21-1218

津山市議会
〒708-8501 岡山県津山市山北520 
メール  g-kyousan@city.tsuyama.okayama.jp
TEL 0868-32-2140 FAX 0868-32-2160

さくら会館 (全解連津山市協議会)
〒708-0886 岡山県津山市昭和町1-9-6 
メール  sakuraka@mx1.tvt.n.jp
TEL 0868-22-9072 FAX 0868-23-4216
ホームページ  http://www3.tvt.ne.jp/~sakuraka/

   今22年目、―本音で語る―
 人権・民主主義問題シンポジウム
へ発展、市民の同和問題解決への本音を聞き、「差別するな」から「差別されない地域、人間づくり」を目指してきました。
第21回-本音で語る-人権・民主主義問題シンポジウム 2月3日開催しました。さくら会館HPへリンクしてシンポジウムの模様はご覧下さい。

  
 
 

--いつまでも「同和・部落」ではない--
岡山県津山市の21世紀への新しい「住民運動」への発展
2000年7月30日 徳島県阿南市での
--本音で語る--人権・民主主義シンポジウムで行った私の講演
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